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広い海へ出てみよう
中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。
でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。
広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。
ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。
私の父がすごいのは、何もいわないことだと思う。
私の母がすごいのは、今の問題については意見するが、過去の問題は決して蒸し返さないことだと思う。
これまでいろいろなお母さんを見てきたが、子どもに追い詰められるたび過去の悪事を掘り返し、優位に立とうとする人が多過ぎる。日本の子どもが自分に自信を持てないのは当たり前だ。子どもがちょっと自信をつけて言葉を発した途端、親に「お前のような人間の屑に発言権はない」と抑圧されるのだから。
気分のいいときだけ口先で「愛している」なんていったところで、誰が信じるだろう。
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5というのは、精神的支えになってくれたり、困ったときに助けを求めることのできる相手の平均的な人数。家族とか親友とか自分にとって最も大事な人たちの数。
次の15というのは、社会心理学がシンパシーグループと呼ぶ人たち。家族や親友ではないが、その人が亡くなれば大きな悲しみを経験するような人の数。
次の50という数字は、比較的頻繁にコミュニケーションを取る人の数。
150というのは、いわゆるダンバー数。人間の頭脳の大きさで決まる数字で、一人ひとりの名前を覚えていて、だれがだれだかをはっきり認識できる人の数。古代から中世にかけての集落の数は、だいたい150人だそうで、現代でも会社の事務所内の従業員の数が150人を超えると欠勤数が増えるという調査結果があるらしい。
500というのはWeak ties、弱いつながり、と呼ばれるグループ。会ったことはあるけど、それほど親しくない人の数。人生を通じて500人以上の人と出会うわけだけど、実際に名前を覚えていられるのは500人程度だという。
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